大悲、風の如くとは、こういうことか。

こんにちは。
享佑です。

何とか9月も無事に終えることが出来ました。
先日、かなり困ったことが起きて、下手したら10月を安心して迎えることができないのではないか?とさえ思うようなことが起きました。
切羽詰まったので、相談したら、その方達が一生懸命動いてくださり、何とか事なきを得ることが出来ました。

本当に見捨てられないな、ありがたいな、と思っていたときに、子供が「千の風になって」をYOUTUBEでみているのが聞こえてきました。
これはどうやら、仏教に詳しい方が書いた(正確には訳した)に違いない詩だなぁ、と何と無く聞いていました。

「朝には鳥になって あなたを目覚めさせる」

の部分でふと死んだ伯母さんの声が聞こえた気がしました。
車を運転中でしたが、不覚にも涙が出てまいりました。
今回僕を助けてくれた方々の後ろで、伯母さんが見守ってくれていたのだ、と。

「私のお墓の前で 泣かないでください。
そこに私はいません 眠ってなんかいません。」

本当にその通りだった。
伯母さんは、確かに僕の側にいる。
そこには生き生きとした生がある。

「秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬にはダイヤになって きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る」

僕が美しいものを見たとき、心を震わせたとき、涙を流したとき。
いつでもそこに伯母さんの慈悲があった。

人は死んだら星になる、とはよく聞かされたものだけど、そんな風に思えた人は、きっと素晴らしい精神性を持っていたのでしょう。
言葉としては知っていながらも、初めてはっきりと体感出来ました。

そんな風に考えながら後部座席を振り返ると、子供もこちらを見ていました。
何も知らない、でも、全てを見抜いていたかのような目でした。
あぁ、僕に伯母さんの存在を気づかせてくれたのは彼だったのだ。
死んだら星になるんじゃない。
生き生きとして星のようなきらめくような心の持ち主が目の前におりました。

鳩摩羅什という、偉い仏典の翻訳家は

「蓮華を採りて、臭泥を取ることなかれ」

と言ったそうです。
臭い泥の中にあっても、蓮華花を咲かせなさい、と。
本物の苦しみの中にこそ、救いはきっとある。
苦しみの中でこそ、蓮華の花を咲かせる力が磨かれるのだと思う。

思い切り苦しんだからこそ、周囲の方の蓮華のような愛に気づけたのでしょう。
苦しみの中だからこそ、その愛に手を伸ばせたのだと思う。

仏の大慈悲というのは、きっとこういうものなのだと思う。
大きな、それでいて爽やかで、そしてうねりを持った愛。
まさに千の風を感じることが出来た一日でした。
さぁ、明日からは10月。
また来月も一生懸命、生きて参ります。

「千の風になって」の元になった詩の原文を下に載せておきます。
80年前にアメリカで生まれた詩です。

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
I am the gentle showers of rain,
I am the fields of ripening grain.
I am in the morning hush,
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight,
I am the starshine of the night.
I am in the flowers that bloom,
I am in a quiet room.
I am in the birds that sing,
I am in each lovely thing.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there. I do not die.

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