多治見店ブログ

君子もって自彊息まず

こんにちは、享佑です。

今朝は電車で多治見までやってまいりましたが、社内で酔っ払いが。

終電に間に合わず、朝帰りだったのでしょうか?

夜のお仕事の方だったのでしょうか?

よくわかりませんが、かなり酔ってらっしゃいました。

ふらふらしているにも関わらず、席につかないなー、と思ったら、死んだように席に倒れこみ、グーグー寝ていました。

 

終点に着いた際に、車掌さんに伝えておきました。

彼は無事に家に辿り着けたのでしょうか?

靴も履いていなかったので、少し心配です。

 

さて、昨日は終業後、有志のスタッフと易経のお勉強会をしました。

今回は「乾為天」についてお勉強をしました。

これは易経の第一番の卦であり、万物の創生を描く文章となっています。

孔子が解説を加えているのですが、読んでいて感じるのが「師」の存在の偉大さ。

どこまでいっても「師」を思慕すること、これが人格完成には欠かせない、と説かれています。

 

学校教育でも道徳を教科にするという動きが出ています。

とても結構なことだと思います。

でもそもそも「道徳」とは何か?を説明できる学校の先生がどれくらいいるのだろうか?と若干の疑問があります。

学校教育での「道徳」という言葉はおそらく「モラル」の訳でしょうが、そもそも「道」というのも「徳」というのも日本人にはとても馴染み深い言葉です。

易経では「道」を「生々としてやむことのない天のはたらき」をいい、「徳」は「その天の働きである道の働きが人間の行動として発現したもの」と捉えます。

すなわち、「概念と実践」をセットにして「道徳」となります。

「老子」という書物は「道経」と「徳経」に分かれていて、合わせて「老子道徳経」とも呼ばれますが、学校で教える前にもともと東洋には「道徳」という概念があったわけですね。

 

先日も、僕の住む福岡市で体罰で教師が生徒をケガを負わせるという事件がおきました。

挨拶の際に、帽子をとらなかったという理由で正座させた上で蹴りを入れたらしいのです。

僕は、この教師を一概に責める気にはなれません。

帽子をとって挨拶をするという理屈は正しい。

でも、その道は正しくても、その伝え方である徳は正しかったのか?

考え方がよくても、それは実際の行動と整合性はとれているのか?

無抵抗な生徒に一方的に暴力を振りかざしたのは頂けません。

蹴り方にも礼儀があるはず。

骨折しかねない部位を蹴るなど、いけないに決まっています。

この教師が、果たして道徳を教えられるのか?

この人に「和を以って貴しとなす」とか言われたところで、「だったら何で骨折させる必要があったの?」と思います。

僕は体罰がすべてNGとは思いません。

易は勧善懲罰を大切にしていますから、罰を懲らしめることは大切です。

でも、その実践の仕方にも細心の注意が必要ですね。

 

我々整体師にも、「概念と実践の一致」はとても重要です。

生活の整っていない整体師に、身体を整えられるとは到底思えません。

十分に気を付けたいものです。

 

哲学を表す「フィロソフィー」は「愛=フィロス」と「智慧=ソフィア」を合わせた言葉です。

知と実践の一致、愛と智慧の融和。

どうか、道徳を説く教師の方々(もちろん、前述のような先生は一部だと信じております)や子供に道徳を体現していくべき大人が、このようなことを自覚しつつ、自らを律しつつ、尊敬されるような輝く生き方をしていけることを。

乾為天の象伝にある言葉が、僕にいつも語りかけます。

「君子もって自彊息(や)まず」

立派な人間と言うのは、いつも自分の役割を自覚し、自らを律していくものだ。

ナマステー

おはようございます。

享佑です。

またしても久しぶりの投稿になってしまいました。

 

先日、亡くなった高倉健さんの辞世の句に触れました。

「行く道は精進にして、忍びて終に悔いなし」

これは、親鸞が大切にした、無量寿経の法蔵菩薩の言葉。

高倉健さんも、僕と同様に親鸞の言葉を胸に秘め、人生を渡っていかれたと思うと、ちょっとうれしいです。

 

僕も真宗の家に生まれたもんですから、親鸞さんをいつも身近に感じております。

毎朝毎夕とはいきませんが、仏さんの前に座り、正信偈を唱えて、背筋を伸ばしてから仕事に向かうようにしています。

正信偈は「帰命無量寿如来」から始まります。

この「帰命」はサンスクリットの「ナマス」を音写した「南無」の漢訳。

そして、「ナマス」は「尊敬する」という感嘆詞。

つまり、「ナマステー」というインドのあいさつは「あなた(=テー)」を「尊敬します(=ナマス)」という意味になるんですね。

インドの人たちが、どれだけの宗教的な観念を持ってこの挨拶を使うのか?は分かりませんが、日々の中でこのように、「あなたという生命に出会えたことが尊い」と口にしているのは、とても尊いことだと思うのです。

三度目の結婚をし、福岡に居を構えている僕は、現在、福岡-名古屋を行ったり来たりの生活をしています。

妻や子供と共にいられる時間は限られていて、その限られた時間を大切に使いたいと思うばかりです。

 

夕食もたまにしか三人でとれません。

いつからか、食事の前に手を合わせて、何か感謝の言葉を述べてから食べるような習慣がついていました。

「パパ、今日も働いてくれてありがとう」

とか

「ママ、今日もごはん作ってくれてありがとう」

とか、各々が思いついたままに感謝の弁を述べていきます。

たわいもないことだけど、とても大切な時間です。

 

ある日、妻が言いました。

「たかきのお母さん、たかきを産んでくれてありがとう。

たかきは二人のお母さんをもつことが出来た、貴重な人生を送っているんだよ。」

そんな言葉を言えることが本当にすごいことだと思う。

実の親子でさえ、いがみあい、醜聞を全国の前に晒している、そんな事実がある一方、図らずして子供を持つ母となり、苦労もあるだろうけど、出会えた奇跡に感謝し、その子供を手放した産みの母にまで感謝できる女性が目の前にいる。

そして、それを目の前でリアルタイムに見ることが出来た、そんな体験が出来たことが何よりもうれしい。

 

僕のいのち、とは僕だけが持っているかけがえのないもの。

でも、僕のいのちは、半分は父親、半分は母親から生まれて、この世に生を享けてからは、見たこともない人が作ってくれたお米を食べて、ここまで大きくなれました。

 

僕のいのち、とは決して僕だけでは成り立たない。

 

そんなことを考えると、お客様のいのちは僕のものでもあるし、僕のいのちはお客様のものでもある。

そんな風に生命はつながりあっている。

だから、今日もご来店頂けたお客様に「ナマステー」という心で触れていきたい。

今日、明日と多治見店でお待ちしております。

ナマステー

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